金森正

金森 正
かなもり ただし
生年月日 (1937-10-05) 1937年10月5日(86歳)
出生地 日本の旗 日本 三重県四日市市
出身校 三重県立四日市工業高等学校
前職 富士電機従業員
所属政党無所属→)
(民主党→)
民進党[1]→)
(旧国民民主党→)
国民民主党
称号 藍綬褒章
旭日小綬章

日本の旗 衆議院議員
選挙区 比例東海ブロック
当選回数 1回
在任期間 2009年8月31日 - 2012年11月16日

三重県の旗 三重県議会議員
選挙区 四日市市選挙区
当選回数 4回
在任期間 1990年 - 2003年

当選回数 4回
在任期間 1975年 - 1990年
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金森 正(かなもり ただし、1937年(昭和12年)10月5日 - )は、日本政治家。国民民主党三重県連代表。衆議院議員(1期)、三重県議会議員(4期)、四日市市議会議員(4期)、民主党・旧国民民主党三重県連代表などを務めた。

勲章は藍綬褒章2000年(平成12年)、旭日小綬章2007年(平成19年)。

来歴

三重県四日市市生まれ。三重県立四日市工業高等学校卒業後、富士電機(現富士電機リテイルシステムズ)に入社。四日市市最大の労働組合である富士電機労組に加入し、組合活動に従事する。

1975年に四日市市議会議員選挙に立候補して初当選した。以後当選4回。1990年に四日市市議を辞職して、三重県議会議員選挙の補欠選挙に立候補して当選。三重県議も4期務め、2003年に政界を一旦引退した。引退後も民主党三重県連幹事長の職に留まり、県政界の実力者であった。

2009年に三重県選出衆議院議員岡田克也から要請を受け、比例東海ブロック単独(35位)で第45回衆議院議員総選挙に民主党公認で立候補。比例下位であったが、重複立候補していた候補者の大半が小選挙区で当選したため、当選した。

2010年9月の民主党代表選挙では、菅直人の推薦人に名を連ねた。

2012年に民主党三重県連代表に就任した。2012年(平成24年)12月に行われる第46回衆議院議員総選挙には立候補せず、引退することを表明した[2]2014年12月に行われた第47回衆議院議員総選挙では比例下位に名簿登載されるも、落選。

2018年に所属する民進党が国民民主党へ移行したが、民進党常任顧問の岡田や、県連代表だった芝博一らはこれに参加せず無所属となったため、三重県からは同党の所属国会議員が不在となり、金森が国民民主党の三重県連代表となった[3]2020年に野党再編を巡り国民民主党が分党し、(新)国民民主党が結成された際も引き続き県連代表に就いた[4]

人物

  • 尊敬する政治家に、同じ三重県選出で労組出身の伊藤忠治日本社会党→社会民主党→民主党)を挙げている。

所属団体・議員連盟

役職

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ “民進党三重県総支部連合会 役員一覧”. 民進党. 2017年3月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月29日閲覧。
  2. ^ 金森衆院議員:民主県連代表、今期限りで引退 /三重- 毎日jp(毎日新聞)
  3. ^ “今夏参院選:国民民主県連、芳野氏推薦へ /三重”. 毎日新聞. (2019年2月10日). https://mainichi.jp/articles/20190210/ddl/k24/010/148000c 2020年11月10日閲覧。 
  4. ^ “新国民県連が設立総会 「改革中道政党を目指す」 三重”. 伊勢新聞. (2020年11月10日). https://www.isenp.co.jp/2020/11/10/52329/ 2020年11月10日閲覧。 
第41回
(定数23)
新進党
自由民主党
民主党
日本共産党
社会民主党
第42回
(定数21)
民主党
自由民主党
公明党
自由党
日本共産党
社会民主党
第43回
(定数21)
民主党
自由民主党
公明党
日本共産党
第44回
(定数21)
自由民主党
民主党
公明党
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(定数21)
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公明党
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(定数21)
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(定数21)
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第49回
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  • 田中健
↓:途中辞職、失職など、↑:繰り上げ当選