池田豊

曖昧さ回避 この項目では、プロ野球監督について説明しています。防府市長については「池田豊 (政治家)」をご覧ください。
池田 豊
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京府北多摩郡武蔵野村
(現:武蔵野市
生年月日 (1893-09-24) 1893年9月24日
没年月日 (1952-10-21) 1952年10月21日(59歳没)
選手情報
ポジション 三塁手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴
野球殿堂(日本)
殿堂表彰者
選出年 1962年
選出方法 競技者表彰
この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

池田 豊(いけだ ゆたか、1893年9月24日 - 1952年10月21日)は、東京府北多摩郡武蔵野村(現:武蔵野市)出身のプロ野球監督審判

来歴・人物

早稲田中学校を経て、早稲田大学卒業。早大時代は三塁手。卒業後東京六大学野球連盟の審判となる。

1936年、大学の先輩河野安通志が総監督をつとめる大日本野球連盟名古屋協会(名古屋軍)の初代監督に就任。河野が後楽園イーグルスを設立すると同時に辞任した。

名古屋軍では後に公式戦の基点となる東京の職業野球連盟発足記念トーナメントで優勝を果たし(ただし、大阪では阪急に、名古屋では大阪にさらわれた。)、「プロ野球選手は自前で養成しよう」との信念から、少年野球から西沢道夫を発掘し、後に中日の大選手になる道筋を作っている。

1937年に日本職業野球連盟に審判部が出来ると同時に入局。初代の審判部長となった。戦後もプロ野球審判をつとめるが1948年限りで引退。2リーグ分裂後も指導員としてどちらにも所属しなかった。

その後市岡忠男の要請により日本サイクリスト・センター(現在の日本競輪学校)の訓練部長として競輪選手の育成に当たろうとしたが、その矢先に胃癌のため倒れ1952年に59歳で逝去した。

1962年に競技者表彰で野球殿堂入りを果たしている。

詳細情報

通算監督成績

通算1年指揮、42試合、19勝23敗、勝率.452

表彰

  • 野球殿堂競技者表彰(1962年)

背番号

  • 30(1936年)

関連項目

野球殿堂表彰者
競技者表彰
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
プレーヤー
2000年代
2010年代
2020年代
エキスパート
2000年代
2010年代
2020年代
特別表彰
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
新世紀
2000年代
名古屋軍監督 1936
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • VIAF
国立図書館
  • 日本