林錦峯

林 錦峯(はやし きんぽう、明和4年(1767年) - 寛政5年4月20日(1793年5月28日))は、江戸時代中期の朱子学儒学者。林家7代。は信敬。実父は富田明親(信濃小諸藩藩主牧野康周三男)。

略歴

天明7年(1787年)、林鳳潭の跡を継ぎ、幕府儒官となり、大学頭となった。寛政2年(1790年)には幕府から寛政異学の禁を行うように通達されている。寛政5年(1793年)、27歳で死去した。

子がなかったため、ここに林羅山から続く血統的家系は断絶した。同年、将軍徳川家斉の命により美濃国岩村藩松平乗薀の三男・乗衡が林家8代となり、林述斎(林衡)と称して林家が再興された。

関連項目

林氏第7代当主(1787年-1793年)
大学頭家

羅山 - 鵞峰 - 鳳岡 - 榴岡 - 鳳谷 - 鳳潭 - 錦峯 - 述斎 - 檉宇 - 壮軒 - 復斎 - 学斎

第二林家

読耕斎 - 春東 - 葛廬 - 菊渓 - 観山 - 琴山 - 復斎 - 鶯渓 - 曄 -

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