岩原豊子

岩原 豊子
Toyoko Iwahara
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1945-05-11) 1945年5月11日(79歳)
出身地 東京都台東区
ラテン文字 Toyoko Iwahara
身長 169cm
体重 62kg
選手情報
愛称 ガン
ポジション セッター
獲得メダル
オリンピック
1968 女子
1972 女子
世界選手権
1967 女子バレーボール
1970 女子バレーボール
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岩原 豊子(いわはら とよこ、現姓:和田[1]1945年5月11日 - )は、東京都出身の元バレーボール選手、指導者。1968年メキシコオリンピック、1972年ミュンヘンオリンピックバレーボール女子銀メダリスト。

来歴

疎開先の母の実家(茨城県)で生まれ、東京都台東区育ち。バレーボール強豪校の中村高校に進学し、全日本総合選手権ベスト4などに貢献した。

1964年に実業団のヤシカに入部し、セッターに転向する。1967年に全日本メンバーに選出され、同年の世界選手権優勝、1968年のメキシコオリンピック準優勝などに貢献した。

国内では、1967年度の第1回日本リーグでベスト6およびレシーブ賞を獲得し、チーム準優勝に大きく貢献した。現役引退後もコーチとして後身の指導に当たり、1978年5月のヤシカ廃部までチームのために尽力した。

現在は、バレーボールアカデミー(貝塚ドリームス)のスタッフとして尽力している[2]

球歴

  • 球歴
台東区立御徒町中学校 → 中村高校ヤシカ(1964-1973年)
  • 受賞歴
    • 1967年 - 第1回日本リーグ レシーブ賞、ベスト6
    • 1968年 - 第2回日本リーグ ベスト6
    • 1969年 - 第3回日本リーグ ベスト6
    • 1972年 - 第6回日本リーグ 敢闘賞、レシーブ賞、ベスト6

脚注

  1. ^ 月刊バレーボール 2011年1月号 99ページ
  2. ^ JVA貝塚ドリームス - 選手・スタッフ紹介

参考文献

  • VOLLEYBALL(日本バレーボール協会機関誌)1970年1月号 38-43ページ

外部リンク

  • 映画 -「甦れ魔女」
  • Vリーグ公式 - 第1章 日本リーグの誕生と草創期のスターたち (4) 「日立・ユニチカ・ヤシカ時代」(女子)
日本リーグ女子敢闘賞
日本リーグ
1960年代

67 高山鈴江 / 68-69 松村勝美 / 69-70 浜恵子

1970年代

70-71 浜恵子 / 71-72 飯田高子 / 72-73 岩原豊子 / 73-74 飯田高子 / 74-75 白井貴子 / 75-76 横山樹理 / 76-77 前田悦智子 / 77-78 横山樹理 / 78-79 江上由美 / 79-80 清水睦子

1980年代

80-81 佐藤裕子 / 81-82 小川かず子 / 82-83 水原理枝子 / 83-84 田渕良子 / 84-85 松並早苗 / 85-86 梅津一美 / 86-87 ローズ・メジャーズ / 87-88 大林素子 / 88-89 中西千枝子 / 89-90 松下晃子

1990年代

90-91 石掛美知代 / 91-92 高山佳代 / 92-93 中西千枝子 / 93-94 山内美加

Vリーグ
1990年代
2000年代
V・プレミア
リーグ
2000年代
2010年代
V.LEAGUE
DIVISION1
2010年代
2020年代
 
バレーボール全日本女子
日本の旗 バレーボール全日本女子 - 1967 世界選手権 1 1位
日本の旗 バレーボール全日本女子 - 1968 メキシコシティ五輪 2 2位 オリンピックの旗
日本の旗 バレーボール全日本女子 - 1970 世界選手権 2 2位
日本の旗 バレーボール全日本女子 - 1972 ミュンヘン五輪 2 2位 オリンピックの旗