吉士赤鳩

吉士 赤鳩(きし の あかはと)は、古墳時代豪族

記録

日本書紀』巻第十九にのみ現れる人物である。

欽明天皇31年(570年)4月、越国に漂着し、7月に近江国までやってきた高句麗の使節を迎えるべく[1]許勢臣猿(こせ の おみ さる)とともに、

難波津より発(た)ちて、船を狭狭波山(ささなみやま)に控(ひ)き引(こ)して、飾船(かざりぶね)を装(よそ)ひて、乃ち往きて近江(あふみ)の北の山に迎へしむ。

難波津から出発し、船を佐々波山に引き上げさせ、船飾りをつけて、使いを近江の北の山に迎えさせた。 — 宇治谷孟 訳、日本書紀

とあるのみである。この使節団は、この後、山背国の高楲の館(こまひのむろつみ)に迎え入れられて、東漢坂上子麻呂らによって守護された、という[2]

脚注

  1. ^ 『日本書紀』欽明天皇三十一年七月一日条
  2. ^ 『日本書紀』欽明天皇三十一年七月是月条

参考文献

関連項目

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